芸能人のゴシップよりもパートのおばちゃんのゴシップのほうが面白くね?(挨拶)
マクロな世界よりもミクロな世界のほうが面白い、ということは結構ある。
世界を守るなんかより自分の回りの世界を守りたいなんていうのはRPGでも良くある話じゃろ。
今作『FARCRY NEW DAWN』(以下、FCND)は
一旦世界をリセットし小さな物語にすることでファークライシリーズに新たな夜明けを見せてくれた。
早速レビューするが、本稿はゲームの都合上前作のネタバレを大いに含むためその点ご容赦を。
□前作との関連、そして崩壊した世界について
↑前作ラストで核により焼き尽くされた世界も17年という時が癒した。いや、癒しすぎて元に戻った…?
さて本作を語るにあたり、前作『FARCRY5』(以下、FC5)の結末を避けては通れない。
FC5は「保安官(+地域のまともな住人)VSカルト教団」という構図であり
最後にはカルトを追い詰めるもののかねてより教団が予言していた”終わり”として
核ミサイルが世界全土に降り注ぎ世界が崩壊する、
というエンディングを迎える。
つまり、完全なる敗北エンドであり、ここに人類という種の日没を迎えてしまった。
世界は核の炎に包まれた!
だが、人類は死滅していなかった!
・・・文字通りである。北斗の拳フォーマットって便利ねー。
↑17年前の写真と見比べるサブイベント。前作のロケーションが崩壊した形で残っているので懐かしさも。
そう、FCNDは完全にFC5の地続きであり、同じ舞台の17年後になっている。
上述したとおり核ミサイルを打ち込まれた世界である。
それを聞いたら恐らく殆どの人は
「えっ!じゃあ核で変異した生物とか植物とかいるの!?」と目を輝かせるだろうが
うん、そういうの無いんだ。
うん、そういうの無いんだ。(2回目)
↑ドギツイ原色の植物がある程度でほぼ復活している自然。放射能汚染とか…無いんですか…?
えっでも核ですよ?綺麗な水を奪い合う争いが!
ありません!
放射能が体を蝕むとか
放射能なんて17年あったら消えてるやろ~!GAHAHA!
銃弾一発より人の命が安い価値観!
あーそこになかったら売り切れッスわ!
欧米人、核を「ちょっと強いミサイル」と考えてる説
がどんどん補強されていくわけですが世界が終わっても「FARCRYはFARCRY」、
いつもどおりのFARCRYが楽しめるようになっている。
↑ステルスで敵を倒すのが気持ちE、敵をひき殺すのも気持ちE、もはや気持ちEを超えて気持ちFやんけ。
では、いつもどおりのFARCRYとは何か?
- ステルスで敵の基地を全滅させましょう
- 敵をマシンガンで蜂の巣にしましょう
- 敵を爆散させましょう
- 敵をひき殺しましょう
- 様々な乗り物とその兵器でぶちのめしましょう
- 動物の檻を破壊して自分の手を汚さず蹴散らしましょう
全部敵を倒すことに関係するじゃねぇか。
でもFARCRYってそんなもの。
しかし、いつもどおりとはちがう、
ちょっと捻った部分がグッとこのゲームの評価を上げている。
□いつも通りを少し変えるとあら不思議。モチベがグンと上がる。
↑マップに点在する仲間を探す、お宝を探す、収集要素こそがFARCRY。だが少しのひねりがより良くした。
FARCRYシリーズはよくあるオープンワールドRPGなのだが
他の同ジャンルと比べて収集要素が多いことが特徴として挙げられる。
ただ、前作はこの収集要素が多すぎることがまずネックだった。
また、プレッパー*1の宝というパズルを解くことで宝を得る要素があったが、
これをクリアしてももらえるご褒美、これの意味の無さにウンザリさせられたが
一つ仕様を変えたことで好転している。
今作はトレジャーハントという形で代替されているが、
前作のご褒美は金銭だったが申し訳程度の世紀末、金はケツ拭く紙程度にしか使えなかった。
今作のご褒美は素材に代わっており、それを用いてクラフトすることで武器や車を用意する。
この素材が結構ギリギリに制限されていて道に落ちている分だけだと全然足りない。
これにより前作と比べてトレジャーハントに利点と必然性が生まれている。
↑武器と敵にはⅠ・Ⅱ・Ⅲ・エリートというランク付けがされている。敵のランクより低い武器では苦戦必至
また、批判はあるようだが敵と武器のランク制は個人的にプラスだ。
シナリオが進むと敵が徐々に強化されていくため、自身も合わせて強化する必要がある。
結果、探索して素材を回収⇒武器強化⇒敵が強化⇒探索・・・というサイクルが働くので
最初に強武器を取りひたすらに敵をなぎ倒す、と比べると飽きが来にくく良くなっている。
前述のトレジャーハントもこの要素が無ければ文字通り、宝の持ち腐れだったろう。
↑本拠地があり、ハッテン♂する。味方を特訓することも出来、ヨガのポーズをする仲間にはニンマリする。
もう一つ、良い点として本拠地(プロスペリティ)があることだ。
本拠地そのものが素材を集めることで発展する、ということもいいのだが
それ以上に仲間にしたキャラクターがそこで生活する、という点がすばらしい。
FC5は本拠地と呼べる場所が実質存在せず、根無し草としてひたすら戦い続けるという壮絶なものだったが
FCNDは本拠地があること、仲間がそこにいること、発展することで愛着が湧く。
↑復興の兆しが見えたことで行われたパーティの夜に行われた襲撃。敵への怒りが込み上げてくる。
また、敵が本拠地に攻めてくるイベント(戦闘)もあるため
「何故敵を倒さねばならないのか」という理由づけがしっかりと成されている。
前作は「保安官というロール(役割)を演じるために」戦う、というRPG的な消極的理由、
あるいは「カルト教団を潰したい」という破壊的な理由が大きかったが、
このイベントがあることで何故戦うのか、への非常にわかりやすい動機づけが出来ている。
非常に”ありきたり”な設定と理由ではあるが、感情移入も容易。
シンプルゆえにわかりやすく、シンプルゆえにパワフル。
是非次回作でも導入して欲しいシステムだ。
□オープンワールドにおける「飽き」という悪魔。矮小化する世界と物語。
↑世界は狭く、ミッションも少ないが飽きずにプレイできる。
本作はスピンオフということもあるだろうが
世界が非常に狭くなっている。
これは物理的にもストーリー的にもだ。
まず純粋にフィールドが狭い。
オープンワールドとしてはかなり狭い部類に入る。
ただ、これはぶっちゃけ評価ポイントに入る。
いやさぁ、もうさぁ。
だだっ広いフィールドで同じことを繰り返すのは飽きたのよ…
特にFARCRYシリーズにありがちな話だが俺のオープンワールドプレイは大体
- 序盤はそこそこ楽しい。
- 中盤で寄り道しまくって強化しまくり敵倒しまくりでたのちい
- メインシナリオが全然進んで無いのに飽きてきたぞ・・・
- 惰性でメインシナリオをなんとなくクリアする。
こんな感じになる。すっげーよくなる。
特にFC5は完全にこうなってしまい、さらに敗北エンドで非常に後味が悪かった。
ただ今回はゲームスタートが南西端で、ゲームの終わりが北東端となっている。*2
そのためゲームクリアの段階でおおよそ8割くらいマップを開放しきり、
かつ、おおよそのイベントをこなしている状態になっていた。
オープンワールドって満願全席なんすよ。
ほれこれ食えあれ食えうめぇだろもっと食えと流石にゲップが止まらなくなっている僕にそっと差し出されたお茶漬けのようにススイと食えるオープンワールド。
いやー胃にやさしい。
飽きという悪魔が僕のモチベーションを貪り食う前に、逃げ切るようにクリアできた。
どうしてもボリュームを求められる昨今で表現としてオープンワールドを使う、
けれど狭めのあっさり頂けるゲームもアリだと思うんですよね。
もちろん、これが毎回だと困るけどスピンオフとかなら十二分にありかと。
そして矮小化という意味ではシナリオも同様だ。
↑左はヒロインのカルミナ、戦闘でも頼りになる。中盤で訪れる再会にはグッと心を掴まれる。
今作は明確に希望、そして家族という単語を強く推し出している。
ヒロインポジションとなる最初の仲間、カルミナはホープカウンティ*3の再興の為、主人公(を含む組織)を呼ぶ。
希望の為に。
ちなみに彼女は前作FC5の仲間ニックの娘…
てか、カルミナに関して言えば生まれる瞬間に立ち会った娘だったりする。
その事実に気づいたときはちょっと感動したし、物語中盤で親子三人が再会するシーンには素直にウルッと来た。
通常であれば希望と家族なんてあまりにも手垢のついたありきたりな話だがFARCRYシリーズにおいては実に効果的だった。
↑ミッキー・ルーという双子の姉妹がメインの敵。しかし、世紀末の中で必死に生きるただの人でもある。
前作は「世界の滅亡を謳うカルト教団」という敵だったが
本作のメイン敵は「暴れん坊の双子姉妹」である。
目的は略奪と破壊。
この世紀末においてはただただ普通の目的、普通の敵である。
勿論暴力的であり憎むべき敵ではあるのだがいかんせんカリスマ感がなく
言葉を選ばず言うと「世紀末でイキってるチャンネー」でしかない。
コイツ等は「悪いけど悪いだけ」の”ありきたりな敵役”である。
なんていうか多分コイツラは人肉なんて食わないだろうし、ウンコもするだろう。
恐らく銃で撃てば死ぬだろうなって感覚が湧いてくる程度には小物である。
これは僕の個人的な持論だが、
カリスマ、というのは孤高でないと保てない部分がある。
双子の会話を聞くと、父親の話が良く出てきたり姉妹間の絆を感じさせる部分がある。
親や子が出てきてなおかつそこへの執着があると途端に普通の人になってしまう。
そしてそれは前作のラスボス、ファーザーにも起こった。
↑左がファーザー、右が息子のイーサン。世界が終わっても血という縁は切れない。
ファーザーとはカルト教団のボスであり、カリスマにより信者を束ね、
終末を予言した得体の知れない敵であった。
今回ファーザーの息子イーサンというキャラクターが伏線もなく出てくる。
ファーザー自体は完全に味方ポジションに付くのだが
イーサンは核以降行方をくらましたファーザーに対して強く反感を持っている。
シリーズ未経験者にはピンと来ないだろうが、
FARCRYシリーズのシナリオは皮肉を内包し、幻覚を香辛料として扱う。
ただこの親の顔より見たおなじみの幻覚について本作はファーザー関連以外では一切登場しない。
(また、前作にあった強制拉致も無い)
恐らくこれの意味するところとしては、
ファーザーだけが唯一この現実(世界)で夢(幻覚)の中にいる。ということだろう。
しかし、既に寝ぼけた人類は核という目覚まし時計により覚醒(めざ)めさせられ、
未だ眠ったような発言を繰りかえすファーザーは現実の息子に否定される。
そして物語の後半で決定的な決別が起こる。
はっきり言って非常に滑稽で痛快だ。
世界の終末を予言した男が息子一人とわかりあうことも出来ずオタオタしている。
「あいつもいずれ分かってくれるさ・・・」としたり顔で話すファーザーは
まるで駄目なオッサン、略してマダオと呼ぶに相応しい。
どうしたカリスマ!何とかしてみろよ得体の知れない敵!と、前作からの溜飲を下げてくれる。
あまりにも抽象的で曖昧で大きなテーマをぶち上げた結果、
規模だけは世界レベル、しかし何がしたかったか良く分からなくなっていた前作のシナリオが
親と子、姉と妹、そういった家族という普遍的…
いや、”ありきたりなテーマ”へ落ち着いたことでぐっと分かりやすく、面白くなった。
結局人間は核で世界が終ったところで希望を見ずにはいられない。
そして家族という血の鎖は溶けやしないし悩まされる。
でも同時に家族というものはいいものだと教えてくれる。
味方のカルミナはおろか敵のミッキー・ルーにすら有った
家族の絆が父親を自称する男(ファーザー)にだけ無い
ということが本作最大の皮肉だろう。
新たな夜明け(NEW DAWN)を待つ目覚めた人類にとって未だ眠り夢見る男は不要。
FC5では出来なかった”最後の選択”は前作プレイヤーにとって待ち望んだ歓喜の瞬間だろう。
最期の選択の詳細は伏せる。しかしその選択とその結果は貴方が決断しよう。
□総評
↑フォトモードも楽しい。秋田犬をパートナーにしてモフリたおせるのもいいわよ。
傑作ではないが良作。
少なくともFC5の完結編としては十二分に楽しめる。
ただ、毒が強すぎた前作との対比か、ありきたりな王道過ぎるシナリオ構成は
FARCRYシリーズらしい皮肉めいたシナリオが薄い、
その点はシリーズファンには少々物言いが出るだろう。
また、自分はこのぐらいで十分だったが
ボリュームの薄さはやはり批難されても仕方ない。
その分価格は安いものの、食い足りないと感じるプレイヤーは多いはずだ。
上記2点に関しては考慮しておいて欲しいが、
それでも個人的には前作プレイヤーにはやる価値があると思う作品に仕上がっていると思う。
なにより、前作の不満点をプチプチとつぶす形で補完している点は素直に評価できる。
次回作(FC6)に期待できるな、と思える程度には信用が回復した。
さて、ありきたりな話で〆るとしよう。
パンドラの箱に最後に残るものはなんだっただろうか?
答えはそう・・・希望である。
どれだけの絶望があったって最後にゃ希望が待っている。
そして最期の希望によってFC5から続く物語は幕を閉じたのだ。
あなたも取り忘れた希望を取りに来ないか。
↑希望にカンパイ。