ホスピタル病院

自分をモヒカン社畜だと思い込んでいる17歳JKのブログ

かつて共犯だった僕からの。『TheLastOfUs Part2』シナリオ感想。【ネタバレ有】

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話そう、笑おう、飯食おう(挨拶)

本稿は前回記事の続き…ではなく独立したネタバレ込みの記事である。

発売からたった5日で開発者自らがエンディング含めてネタバレする時点で
ネタバレに関する配慮の意味が若干問われるし、
恐らく準備していた考察記事が吹っ飛んだ人もいるのではなかろうか、とも思うが
やはりある程度まっさらな気持ちでプレイしてほしい、というのもありこのような形式としている。

ただし、本稿は前記事での「中盤の転換点」について完全にネタバレしているが
それ以外の要素は極力避けている(つもりである)。
この文章はネタバレを積極的に行いたいわけでは無い、少なくともラストの展開に関して詳細なネタバレは一切しない。

そこらへんをわかってくれたならば
『TheLastOfUs Part2』シナリオ感想、よしなに。

 

 

□序盤から前半にかけてのシンクロは完璧

 

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復讐するは我にあり。プレイヤーとエリーの強力タッグが序盤で完成する。右は主犯アビーとオーウェン
まず、序盤の重大な事件から連なるエリーの怒り、復讐へと進む道のりは完璧といって差し支えない。

雪合戦のシーンでのほのぼの感や、「何かが起こるな」と思わせる不穏感の演出は見事だし、
事件が起こった後からエリーがノリノリで一人でも行く気満々だったシーンを見て「やっぱりな!そうでなくちゃ!」とはたと手を打ったほどだ。

やはりシアトルか……いつ出発する?わたしも同行する。と強い復讐心はきっちりプレイヤーである自分にも根付き、燃える。

正直なところ事件の衝撃さもあって、
主犯であるアビーとその相棒であろうオーウェン以外は顔と名前が一致しなかったが
道中で写真を手に入れ、グループを一人一人確認していく様はワクワクしたし心で舌なめずりするほど興奮した。

 

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そしてグループの一員を病院で殺害するシーンについて。
敵を追い詰めるというシチュエーションが興奮を何倍にも増幅する。
追いかけ、追いかけ、そして追い詰めた時。

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↑ボタンが表示され、そして彼女と僕は”実行”する。

「ここは当然プレイヤーに操作させるところだろ!」
画面に表示される前から□ボタンを連打していたほどに興奮していた。
こういった、ムービー中にボタンを表示しトドメはプレイヤーの意思にやらせる演出は大好きだ。
(MGS3のザ・ボスなんかはぐっと力を入れながら、そして躊躇いながら引き金を僕が引いた)
そうして、僕とエリーは共犯になった。

 

過去と現在がザッピングして進行するシナリオは
過去の尊さ、そして美しさと哀しさと併せて
自身のエリーへの思い入れもあり物語をぐんぐんと進める気力となった。

しかし残念ながらこの怒りにあわせた感情のシンクロは前半までで、
問題の「中盤の転換点」でシナリオとは明確に袂を分かつ結果となった。

 

□説教とは、知っていることや理屈を言われるからつまらないのだ

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↑まさかのサプライズ、アビー操作。しかもこれ、エリー操作とほぼ同じくらい時間をかける…。

前の記事も含めてしつこく繰り返した「中盤の転換点」。
それは主人公がエリーから、復讐対象であるアビーに切り替わることを指す。

これ自体の狙いは非常に分かりやすい。
本作はモブ敵を倒した際に周りの仲間が名前を叫ぶように
「自分が殺した相手にも名前がある=人生があり、理由がある」といった、
プレイヤーに対する非難にも似た「理解」を求める意図だろう。
それをアビーの視点からも見て理解してほしい、ということだろう。

またもう一つ、復讐を果たした人間(アビー)がどうなるか
つまり、エリーが復讐を終えた未来がどうなるか
ということを示したいのも分かる。

 

だがこの「正義の反対はまた別の正義」「復讐の連鎖は空しい」とでも言いたげな展開については申し訳ないが
Z指定のゲームをするような年齢の日本のオタクにとっては
半ば義務教育のように何かで必ず通る見飽きた説教で、
映画でも(MCU映画キャプテンアメリカシビルウォー
漫画でも(金田一少年の事件簿東京BABYLON、ヴィンランドサガ)
アニメでも(ガンダムシリーズの大半)
幾度となく見てきた展開でしかない。

そして誰か、特に力の無いものや可哀そうな方が諦めて復讐の連鎖の輪を閉じるんだろう?と。

勿論、それが現代社会においては最適解であることは知っている。
しかし本作は社会が崩壊した世界ではあるし、何よりフィクションだ。

それに7年前にそれらを理解した上でジョエルと共犯になっていた僕にとっては
アビーを操作すること自体に戸惑い、苛立ち、そして怒りを覚えつつ
物語の終わりを見るためにただただ「仕方なく」進めていた。

 

□ジョエルとの共犯関係。

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↑すべての人が救えないように、誰かを生かすと誰かを助けられない。ゲームでさえもそれを否定する。

クリア後の感想としてまず最初に思ったのは
ゲームなのだからせめてマルチエンドにすればよかったのに。
ということ。

プレイヤーに選択肢を与えて2つの物語を同時に存在させることが出来る。
僕以外の他の人も納得する漫画やアニメ、映画にはできない、
ゲームだけが出来る物語を語るうえで非常に有効な手法である。
(余談だが最近のジャンプのラブコメ漫画がこれをやっているが、傍目から見て大失敗していると思う)

だがこれは恐らくノーティドッグからすると
最悪レベルの侮辱であり屈辱だろう。

Part1における最後のジョエルの決断と選択は
実際にはプレイヤーには選べない物であった。

感情移入を一切しないのであれば、ジョエルは勝手に立ち上がり、
勝手に世界と娘を天秤にかけて娘を取った大悪党である。

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↑”あの”シーン。ここで銃を撃たなかった人がどれほどいるのだろうか。

けれども多くのプレイヤーはエリーを救出するために手術室に駆け込んだ際、
自分の意志と銃で医者を撃ったと思う。
少なくとも自分はそうだった。

だがあのシーン、実はプレイヤーがわざわざ銃で殺害しなくとも、
近づけばジョエル自らメスで医者を刺し殺すということを後々知った。

実はゲームは「医者を殺さない」という選択肢をプレイヤーから取り上げていたのである。
だがしかし、恐らく多くのプレイヤー…いや一週目の自分はそれに気づかず、
ジョエル自らがメスを使うことなく自分の意志で銃の引き金を引いた。

ジョエルとの共犯関係はそこからである。

この選択肢を取り上げた判断は間違っておらず、
それに異議を唱える者は(いなくはなかっただろうが)主流にはならなかった。
何なら「俺は火炎放射器使ったぜ!」とか「全弾ぶち込んだ」とかいう人もいたしね。

つまり前作のノーティドッグ
「プレイヤーは必ずこう思うだろう」とプレイヤーの心をゲームの中で誘導
ゲーム内で決まりきった結末を「プレイヤーが選んだ」ように見せかけた。
前作で最も素晴らしかったのはここのギミックである、と断言できる。

しかし本作ではこの誘導に失敗している。

 

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↑不器用な父と思春期の娘のようなシーン。微妙な距離感がたまらない。

元々、父親と娘の関係性における、父親のエゴスティックな愛というのは
普遍的なテーマであり、かつ皆が信じたいものでもある。
親はいざとなればどんな犠牲を払っても子供を救うものだと。

ただ、復讐の連鎖や殺した相手にも事情がある、ということについては
何度も言っている通り、もう見たものであり、
そういった意味ではある種同じように普遍的なテーマでもあるが
ただ違うのは、皆が皆それを良しとはしない、
あえて復讐を完遂する物語を望む声が大きくなるほど意見が分かれるものである。

結果として「物語の終わり」を人質に取ってまでアビーを操作させたにもかかわらず
プレイヤー心理の誘導に失敗している。

 

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↑アビーの知り合いはエリーが殺害することとなる。たとえ復讐相手でなくとも。

実際、道中でエリーが殺害するVitaを遊ぶ女性はアビー編にも登場する。
エリーが殺害した彼女とアビーは談笑する仲であるのだ。

イベントでも、基地の中の探索でも、彼女を見つけることが出来る。
もっとも、気づいたのは2週目の物資集めからであった。
後で気づいた時にはいかにプレイヤーたる自分が
アビーを操作するということに怒りを感じてプレイしていたのかがわかった。
怒りで目がくらんどる。

そして何より、少なくともマルチエンドを、と望んだエンディング直後の素直な自分が
この失敗を失敗と認めている。

アビーを操作していく中で最終的に多少なりとも好感を持ったことは事実である。
しかし、7年前に共犯ジョエルと罪を自覚し一緒に罪を犯した事実がそれを良しとしない。

 

…少なくとも自分は本作最後のエリーの決断の際、
まだ何かを期待して表示されない□ボタンを押していた。

ただ、エリーと僕は共犯になれなかった。
それが残念で、とても、とても口惜しい。

 

□TheLastOfUsの”Us”とは誰のことか。そしてあえてPart2にした意義

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基本的には
「失敗している」というのが本作シナリオへの評価だが、
それでも唯一手放しでほめたい要素は有る。

まず、本作は『The Last Of Us Part2』である。
『The Last Of Us2』ではなく、Part2である。
つまり、前作を第一部とした第二部である。

この”TheLastOfUs(私たちの最後)”の”Us(私たち)”が指す対象
エリーと恋人のディーナではなくエリーと仇敵であるアビーでもなく
エリーとジョエルの最後。
前作同様にジョエルとエリーであったこと
これが褒めたい要素だ。

エリーとジョエルの関係こそがTheLastOfUsである、という軸は変わらず、
ただしその形を変えて表現されたこと。
ゲームを終えて夜布団に入った後、「何故2ではなくPart2なのか」ということ、
ああ、この結末も含めてラストオブアス1なのだな、と理解した瞬間にふっと心が沸いた。

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↑見たかったこのシーン。笑わない。いや、笑顔になるか。

前作の決断の清算と、不思議だったエリーがレズビアンであることのシナリオ上の意味。
レズビアン設定は本編ではほぼ匂わす程度でありDLCで確定したと聞き正直それ意味あるの?と不可思議であった)
あの後のファイアフライの末路であったり、
貴重な電気があるとか絶対襲撃される奴でしょと思っていたトミーのダムの街に
そして”TheLastOfUs”。あと、水泳を覚えたエリーとギターを弾いて歌うジョエルも。

前作で見たいと思っていたものは見せてくれたし、
結局エリーとジョエルの最後のお話であったことにしたことには
結末に不満はあれど、
「やってよかったな」とほんの少しだけ思えた。

前作プレイヤーは全員やるべき!とは口が裂けても言えない以上、
ほんの少しだけ、ではあるが。

開発者が発売5日後と、前作と比べて異常なまでに早くネタバレを解禁し、
Part3の存在に言及しているが「個人的にはやめてくれ」という印象。
もう、エリーとジョエルをそっとしておいてほしい。
ただ、TheLastOfUs2であるならば見たいとも思うんだ。

最後に僕を裏切った元共犯者については、
腹いっぱい食べて、ぐっすりと寝て、彼について笑顔で話せる日が来て、と心の底から思う。

それはきっと7年前に彼女を救ったことで救われたジョエルへの、
そしてかつて共犯者であった僕からの赦しでもある。

それぐらいの赦しは、あっていいだろう?

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↑前作のキリンオマージュ。いつか笑顔で話せる日が来てほしい。いや来るさ。きっと。