よくきたな!お前にオプーナかファイナルソードを買う権利をやろう!(挨拶)
今回はコラムです。
クソゲーオブザイヤーが2022年に休止となりましたことを受けて、
せっかくなので自分の思うところを書いてみました。
自分にとって思い入れもあるためかスンゲー長いです。
1万文字越えのクソを語るクソ記事。
付き合える方は是非よしなに。
- □要点まとめ
- □初めに
- □内輪と外野とあと一つ。
- □脳を焼かれた人たち
- □個人的KOTY四天王(5作品)
- □ノリと勢いで体験版出してKOTY
- □ファイナルとなったソード。
- □KOTYの終わり。
- □じゃあKOTYはどうすればよかったのか。
- □総評
SNSの始祖がどれか、は議論の余地がありますが、
日本でmixiが流行った時こんな意味あいの一文を見た記憶があります。
SNSという半匿名の環境では人は本音が喋れない。
しかし匿名であれば人は本音を喋る。
ゆえに議論においては匿名の方に利点がある。
2ちゃんねるが流行り、FaceBookが全然受けない日本らしい言説です。
しかし結果はどうだったのか・・・?
□要点まとめ
長くなっちゃったので要点を先に記す。
- KOTY自体は滅びる運命だった。ただ、2022年で滅びるのは予想外に早かった。
- 原因は面白くないから。そして面白くなる見込みもないから。
- スレ自体は面白くない。クソゲーは面白い
- KOTYには内輪と外野、そして内輪に憧れる外野という概念がある
- KOTYにおけるクソゲーはKOTYらしいクソゲーのみが対象でありそれ以外は排他的。
- 10年以上たってもあやふやな基準と暗黙のルールのまま突き進むスレ。
しかしそれが実は全く意味がなかったことが判明する。 - 勢いをなくすスレに賛否両論のルールの追加による致命的な空気の悪化。
- それはそれとして、関わった個々人の尽力によって得られたハッピーエンドではある。
□初めに
2ちゃんねるにて「選評」という特殊な推薦文を匿名の人が記載し、
それを元に今年一番のクソゲーを決めるというスレ。
それがクソゲーオブザイヤー(以下、KOTY)。
匿名掲示板らしい○○はクソ!という一文を選評もってこいで切り捨てられるのは革命的で、
その特殊さと2007年~2009年の黄金期の輝きによって文化を生み出した名企画です。
これが2022年をもって休止となりました。
休止については既にAUTOMATONにて有識者が語っており、大体この認識で合ってます。
ただ、ちょっと個人的に見てきた中で言っておきたいことがある。
だからこうしてキーボードを叩きました。
2017年の携帯機版KOTY休止に続き本家も休止、
大体の人がいつか来ると理解していても
恐らく誰もこの年に終わるとは予想していなかったと思います。
直接的な原因としては選評が出てこなくなったこと。
間接的な原因としては、
・ゲームそのものの全体的な質の向上によるクソゲーの減少。
・それに伴う「企業が本気で作ってクソゲーになっちゃった」作品の減少。
・反比例するようなインディーズや個人開発者の増加によるゲーム自体の増加。
・2ちゃんねるの衰退による書き込みの激減。
…と色々ありますが間接的な原因は個人的にはこれ、正直、一言で言い表せます。
面白くないから。
そして面白くなる見込みもないから。
内輪にも外野にも。
3言も言ってるじゃねぇかって?うるせー馬鹿。
□内輪と外野とあと一つ。
さて、ここで外野と内輪という概念について説明します。
これは本記事だけの造語で区別をつけるために便宜上言っています。
外野とはKOTYスレに参加せず、結果(動画・テキスト)だけ見ている人たちのこと。
内輪とはKOTYスレに参加している人たちのこと。
後は”訳知り顔で内輪面するスレすら読んだことない外野”というキョロ充もいますがこれは後述。
この2つの決定的な違いはスレに参加しているかどうか、そしてクソゲーの見つけ方です。
外野の人たちは基本的に買うゲームは大作や好きなシリーズの最新作であり、
面白いゲームを期待して買います。
しかし、内輪の人たちは過去クソゲーを作ったメーカーやシリーズ、
クソゲーを期待して買っている。
普通の人がポケモン剣盾最高!次のポケモンSVも面白いだろうから買うぞ!となるように
KOTYスレは、タカラトミーのメジャー最悪だったな!次もヤバいだろうから買うぞ!となるわけ。そういった「クソゲーの系譜」があってクソゲーってのは発掘された。
事実2008の大賞となった『メジャーWii PC』は初代がクソだからこそ見つかった2作品目です。
(初代は同年2月発売で次点入り)
携帯・据置の両方で大賞を取ったシステムソフトアルファー社製品なんかも系譜かと。
(戦極姫⇒太平洋の嵐 他)
勿論、ジャンラインのような無名から成りあがったクソゲーも存在しますが、
アレも系譜扱いされます。だって明らかに同じ匂いがするんだもの。
要は、犬も歩けば棒に当たるのが外野。
しかし、棒を避けて糞の匂いを嗅ぎつけて食うのが内輪です。
□脳を焼かれた人たち
KOTYというのは黄金期の輝きがあまりにも鮮烈なためか脳を焼かれた人が非常に多い。
結果、動画を見ただけ、総評を読んだだけで内輪面するバカ、美化するバカが多発した。
安心してください。そのバカの一人が筆者でした。
(過去の記事今見ると大分美化してるうえ出来悪くて笑うしかない)
より正確に言えば開始当初の2004年(投票制の時)や
ローグギャラクシーの評が面白くて翌年の2006年やあと2010年にちょこちょこ見てたんですが
いつの間にかスレを読まなくなったんですよね。
現行スレ・過去ログ - クソゲーオブザイヤー据置LogWiki
で、改めてスレを全部読んでみました。
俺は何故止めたんだろう。スレを読まなくなったがKOTY自体は好きだったのに。
過去の自分と出会うためにKOTYウィキに存在する過去ログを読んだのです。
すると一つの結論に辿り着く。
クソゲーそのものやスレを動画化して紹介してるのが面白いんであって
KOTYスレ自体は特に面白くねーわこれw
という当たり前の結論に。
いや面白い瞬間はあるんだけど読んでて苦痛!スレ自体はトータル全然おもんねぇわコレ!
よく「コミュニティの一生」というコピペが語られるがKOTYスレには当てはまらず。
何故なら面白い人は最初からいなかった。面白いクソゲーがあっただけなのだ。
んで僕がKOTYスレ読破中最もイメージが違ったのが思ってたより常に空気が荒れてること。
その次がWikiに載っていない選評がクソ多いこと。
詳細は後述するんですが、ノミネート*1および選外一覧欄にすら載っていない選評が多い。
これで勘違いした外野の方もかなり多いと思います。
そういった勘違い。
スレに参加してた人とそうでない人でかなり多いのですが
おそらく一番大きく、そして多い勘違いは
KOTYスレというのはクソゲーを語るスレではないということ。
KOTYスレは今年一番のクソゲーを競うスレなんです。
よく〇〇年になぜ△△がノミネートされていないんだと言われがちですが
ノミネートや次点は二位じゃない。そしてそこを目指すものじゃない。
(ここら辺は七英雄や四天王と祀り上げてたのも誤解を生んだのでしょうが)
外野の人たちがこれクソゲーだよ!5位はいけるよ!って当たった棒を持ってきても、
それはクソかもしれんが一位になれないやつだから除外ってなる。
よく言われる「普通に遊べる」の正体は大体これ。一位を狙えないモノだから。
こういった「スレを読んでないとわからない暗黙のルール」が多数存在しました。
それは糞の匂いがしない。
だからスレ違いで門前払いで選外だ。
俺たちはもっと低い次元で戦ってるんだ。
半年ROMってこい。対象足りえるものは”空気”を読んで判別しろ。
…って言いきれりゃあ良かったんだけどね。
□個人的KOTY四天王(5作品)
KOTYを語るにあたり、個人的には、あくまで個人的にはなりますが
重要なソフトが5作品ほど存在します。
- 2012年 ストリートファイタークロス鉄拳(以下、ストクロ)
- 2013年 ジョジョオールスターバトル(以下、ASB)
- 2015年 テイルズオブゼスティリア(以下、TOZ)
- 2018年 Newガンダムブレイカー(以下、NGB)
- 2020年 ファイナルソード(以下、ファイソ)
さて、このタイトルの共通点がわかるでしょうか。
簡単に言えば世間でクソゲーと騒がれた据置タイトルになります。
そしてこれら全てに選評がある。
しかし、この中でKOTYに選出(ノミネート)されたのは2つのみです。
皆薄々感じていたけど言わなかったことを言います。
KOTYは大作タイトルを意識的に外している。
ぶっちゃけある程度追っかけてたら皆知る事実であり、2012年ぐらいにはもう言われてたこと。
これは発売日に買った僕だから言えるが間違いなくクソゲーです。*2
ストクロで初めて「友人とやっても面白くない格ゲー」があることを知り、
まさか翌年出会いたくない二本目に出会うことになるとは思わなんだ。
で、この2つについては正直KOTYwikiに載ってすらないのが割と疑問であった。
だってわかりやすいクソ要素と面白いバグがあったんだもん。
ストクロはワンチャンKOTYあるかと思っていた。ASBは無理だろうけど。
まぁ文句は言われたけど選評が無かったか、くらいに思っていたのだが
今回読んでみると選評はあるわ複数スレにまたがる形で話題を独占するわ。
しかし、この二本を巡る議論には素直にガッカリさせられた。
様々なバグや仕様の欠陥を指摘し、選評自体も出てはいるんですが
半ば門前払い、あるいは「パッチが来るまで待て」の連呼。
格闘ゲームにおいて、
打撃音が消えることがどれだけマイナスか。
超必殺技でタイムアップ狙いをされることがどれだけ萎えるか。
特定キャラとはいえ永パが存在することがどれだけ影響があるか。
最も盛り上がる初期環境でオンライン対戦がまともに出来ないことにどれだけ冷えるか。
このあたりの影響、滅茶苦茶デカいぞ?
ストレートに言えばスレ住民の格闘ゲームに対する知識が薄い。
格ゲーが構造としてとにかく敵が倒せればゲームにはなる、とはいえ流石にバカすぎるんで、
外部で荒れている、系譜から外れたタイトル故になんとしてもKOTYから外したい。
という思惑、下心があったのかも。と思うほど。
(実際スレでもこれ無理やり外そうとしてるやついるでしょと両作品で指摘されてる)
何ジョジョ?オンライン対戦がまともに出来ない?逆に考えるんだオフラインでやるんだ。
ほらオフラインでやればバグが無いんだからクソゲーじゃありませ~~~ん。
とか抜かすアホのジョースター卿まで現れる始末だ。
そんな陰謀論はともかくとして、
大賞足りえないソフト、系譜から外れた大作のクソゲーはまともに語れないんですよね。
自分も長いことブログでレビューの真似事をしてきたが、
プレイした人にレビューの感想を言われる分にはまぁ大体気にならない。
しかし、明らかなエアプがレビューに文句をつけてきたときは非常にムカつく。
やってないから根拠がない。批判したいから批判する、だけになるんですよ。
エアプがプレイした人を否定するなんてあり得るの?と思うかもしれないが
今年話題になったフォースポークンというタイトルで9時間でクリアしたレビューに向けて、
オープンワールドで9時間クリアはおかしいとプレイスタイルへの批判をする人間はいた。
(普通にプレイしても10~15時間でクリアする人が大半で9時間はちょっと早い程度であった。)
そしてこういったエアプによる選評レビューが常態化してるのがKOTYである。
エアプをねじ伏せて最低で最高のクソゲーをプレゼンしてKOTYにするのが楽しいんじゃないか
という人がいるならばそれは間違いなく外野の人間です。
2ちゃんねる自体に行ったことがないレベル。
匿名掲示板ってのは「空気」があり、それを覆すのはほぼ不可能。
それでもなお、と粘るのは「荒らし」となる。そしてその荒らしくんは
何故こんなスレのために俺が頑張らなくてはいけないのか───。となる。
ストクロ・ASBを大賞にしなかったからダメになったと言いたいわけではない。
当時既にスレを離れてニコニコ動画でバグ動画漁って笑ってたし。
僕がレビューの真似事をしてるのは当時感じた感情を残したいから。
そういう身からすると、
具体的なルールがあるわけでもないWikiへの掲載すらも見送られるというのは耐え難い。
選外はいい。選外でいいからWikiには載せろ。選評が掲載されず消されて
KOTYスレにおいて話題にすら挙がらなかったようなまとめられ方が気に食わない。
KOTYに権威…というより知名度があったから
威光を借りて叩こうとスレに書き込む人間はいた。
しかし、真面目に棒に当たったから語りたい、という人間もいたはずである。
パッチが来たら今俺が抱えてるこのクソゲーに対する感情を
消されて、
なかったことにされて、
”もう終わったことをわめいてるだけのバカ”にされるのか?
この感情を”やってない奴”が否定するのか?
だったら個人でやるお!
…となりスレを離れるには当然だろう。
後々クソゲーを動画化して収益にしているクソゲーハンターユーチューバーが生まれる土壌は
この時点で十二分に存在したのだ。
はっきり言おう。
KOTYスレは荒れるタイトルを意識的になかったことにしたから面白くなかった。
と。
□ノリと勢いで体験版出してKOTY
しかしそうすると、ある程度KOTYを知っているならある疑問が湧くはずである。
2018年6月発売のNGBはどうなのかと。
排除され続ける系譜外れ=「有力シリーズの中のクソゲー」の中で唯一といってもいいKOTYノミネートとなるNGB。
実はそれは自分も長年疑問だった。
が、刻を越えて過去スレを読んでみるとあっさりと氷解した。
ガンダムゲーム自体が割と外れも多い批判しやすい土壌ということもあるが、
本作は上記の5作品のうち唯一、体験版が存在する。*3
体験版をプレイすることで「俺たちが嗅ぎ付けた糞」感が強くなったのだろう。
この「会いに行けるクソゲー」は発売前からフィーバーしており、
クソゲーが来る!と発売日をサンタを待つかのように楽しみにしていた。
ストクロ・ASBであれほど見られた「パッチが来るまで待て」という合言葉はどこに行ったのか。
選評が来たスレッドにおいてそういう意図のレスは全くない。
いやまぁぶっちゃけすんごいクソゲーでしたし。
最終パッチが来たのは同年10月だが11月に同年大賞作が登場するまでの5か月ずっとその年の主役でありほぼ大賞当確のような”空気”があった。
根元のシステムがアレだからパッチでどうにかなるのレベルを超えてはいるし
ストクロ・ASBと5年も離れてりゃもうノリが異なるのもわかるのだが、
体験版なんて出しちゃったもんだからエアプが消えた。
スレが盛り上がって検証されて主役になっちゃった。
これはもうなんていうかずっこい。
ずっこいけどKOTYに俺が求めてるのはコレだったのよね。
2ちゃんねるという匿名の世界でノリと勢いでモノを語れないのはつまんなさすぎるでしょ。
所詮便所の落書きにこれを書いたらよくないんじゃ?なんて法律以外で止まる必要はあるか?
んで、実はこの前年(2017)は候補作品が小粒ということもありスレの勢いは鈍化してました。
KOTYは2022年の前に一度死にかけていた。
事実、動画勢の外野としても面白い時期ではなかったでしょう。
小粒のどうでもいいタイトルが大賞だって言われてもねぇ…という冷めた”空気”があったように思います。
そんな中ブレイカーの名を冠したゲームが、”空気”を蘇らせた。
クソゲーはクソゲーを呼ぶ。
NGB登場後、選評がジワジワと増え昨年よりももっともっと増えた。
まぁWikiに載ってないのも多いんですが。
KOTYで面白かった時期はどこ?と聞かれたら
僕は2007~2009の黄金期と2018年と答えられます。
□ファイナルとなったソード。
しかし、輝きはそこまで。以降はしっかり盛り下がるKOTY。
特に象徴的なのはファイナルソード(2020年大賞)でしょうか。
ファイナルソード、ぶっちゃけ僕個人としてはある種KOTYのトドメになったと思っています。
AUTOMATONの記事でもファイソが来たけどスレは盛り上がらなかったと言われてますが
コレ若干語弊があります。
実際にはツイッターで話題になってその日にはもう話題になってた。
しかし4日後に配信停止になった。NGBとは全く逆でプレイする人数が限られた。
こうなると「会いに行けないクソゲー」をKOTY候補にするわけにもいかず話題にしにくい。
(それでもスレ自体は加速していたが)
それと反比例するようにスレの外では盛り上がる盛り上がる。
ユーチューバーがこぞってプレイし、芸人・陣内智則氏もプレイ。
更にはRTAinJapanでのトリを務める。配信停止されてるのに。
元々KOTYスレにいたかはともかくとして「個人でやるお!」と外にいる人たちが
クソゲーシーンを引っ張っていく時代になっていた。
結果的に言えばストクロ・ASB・TOZ。そしてアンセムやレフトアライブの様に
スレでは盛り上がらないが外では盛り上がるクソゲーという立ち位置になってしまう。
そしてそんなタイトルに大賞が与えられてしまう。
んで、完全に「外野」になってた自分としては
2020年KOTY大賞「ファイナルソード」!って最初聞いたとき「ダサッ」ってなったんですよ。
決定したのは2021年6月。
もうSNSでも動画でもしゃぶりつくした後に言われたところで「今!?」っていうのと、
総評の内容に問題がある。
一言でいえば「他と比べるとクソさは低いが俺がクソだと思ったからKOTYはこれ」が通ってしまった。
総評にて本作は他よりも出来がいいと認められており、他よりクソゲーじゃないんですよね。
んで、客観に逃げずに主観で選ぶべきだぁ?お前らずっと主観だったじゃん。
しかし2020年に至っても客観的に評価する指標がないまま評価し、あろうことか、
シンプルにルール違反。
あくまで客観的に熱くならないように、というWikiのトップページにあるルールに抵触している。
暗黙の了解が大半とはいえここまで積み上げてきたルールを完全に無視した本作。
はたして過去の作品たちは、いやKOTYとは何だったのか…?
そもそもクソさ、というのは言語化できない部分が多い。
バグが多ければクソか。バランスが悪ければクソか。プレイする内容の無さがクソなのか。
だからこそやっててつまんないとか苦痛だとかクソさのインフレが起こっていた。
スレ住民がその無限に続くクソのインフレを嫌ったのかもしれない。
そのインフレの結果、興味を失った動画勢も多数存在した。
だが、その一本筋が通った部分に惹かれていた自分がいた。
外野として、完全に興味を失ってしまったのがこの年だった。
□KOTYの終わり。
ニコニコ動画のKOTY動画は2017年を最後に途絶え、
タカラトミーは2012年に、システムソフトアルファーは2020年にゲームから撤退。
系譜も途絶えた。
そして2022年のスレは悪夢の一言。
正確に言えば2021年7月からなんですが、
クソゲーに”品格”を求め始めた。さっき主観の感情で決めたのに。
パッケージのゲームが減った。クソゲーが減った。
普通に考えればインディーズ有、最悪はPCソフトも含めようぜと範囲を広げるべきじゃないですか。
しかし、クソゲーと言っても最低限の矜持が、KOTYに相応しい格が欲しい。
CEROを通っていない、IARC*4のみのものは弾くという方向に。
ゲームが減っているのにより対象となるゲームを減らす?元々全部はやってないのに!?
しかも実際にスレを読むと
・CERO審査のみ
・IARC審査でも選評次第でOK
という2つの主張が混在する状態で確定しきらない。
スレ内でもほぼ常にこの件で論争しており、空気が今までで一番悪い。
あまりの空気の悪さにスレッドは窒息寸前であることに皆うすうす感じているのだが、
人工呼吸のやり方のルールの決め方で論争している。
過去にはルールが結構すんなり決まってたりするんですがここに来て
客観的な指標も決められず、ルールすら決めきれない、匿名ゆえのもろさが一気に噴き出た。
ただ、スレをずーっと見ていくとですね。
パッチルールにせよ、IARCにせよ、系譜にせよ。
そして何より選評というシステムでさえも
いわば全て「外すため」のルールなんですよ。
スレで語る内容を減らすためのルール。
ノミネート作品を増やすとか範囲を広げるルールは一切ない。
外すためのルールは決まる。面白くなる可能性は狭まる。
そしてスレはクソゲーの話よりもルールの話に終始している。事ここに至って
KOTYは客観的に誰が見ても面白くないクソスレと化した。
結局、ルールを確定させることに反論する人間はあれほど多くいたのに
休止を決めた時に反論する人間はほとんどいなかった。
誰かが身を挺して人工呼吸、すなわちクソゲーをやればよかった。
選評を書けばよかった。
だがしかし。
何故こんなスレのために俺が頑張らなくてはいけないのか───。
スレが作り上げた”空気”がスレを終わらせた瞬間だった。
匿名掲示板だからこそ出来た企画が匿名掲示板らしい顛末で終わってしまった。
あまりにも皮肉な、クソな結末であった。
□じゃあKOTYはどうすればよかったのか。
いやまぁ多分これが唯一の正解ルートじゃねぇかなぁ。
急に意見が変わったように見えるでしょうが、
これがゲームでいうところのトゥルーエンドであり、ハッピーエンドかと。
仮に過去に戻ってどれだけやり直しても2022年まで続くことはなかったと思います。
全てはタラレバにしかならないんですが、僕が唯一KOTYをこうすればよかったという点。
それは
「選評は出来や対象にかかわらず全てWikiに載せておく」
ということ。
「文章が稚拙だから選外」とか「パッチが来たから選外」という一文で処理していい。
ただせめて何かしら遺してほしかった。
あと、下手な文章があると「この程度でいいなら俺でも書ける」とやる気がわく人は多いので。
結局面白いのはクソゲーそのものであることや、
選評が無くなったことが原因での休止なのだから
クソゲーを継続的に投げ込まれる”空気”を整えるべきだったと思うんですよね。
しかし、そうした場合のifが既に存在する。
2012年の携帯機版KOTYスレにおいてそれはあった。
その年の大賞は忘れて結構。主役はこの二作品。
ライバルハード同士で出た似たようなジャンルのタイトル*5。
それがどちらもバグてんこ盛りでお出しされた。
恐らく外野にとってはボブ・サップVS曙ばりの垂涎のマッチアップ!
ですが曙がまけぼのになることなく別のゲームがKOTYとなりました。
当時外野だった自分は、えっあのどっちかじゃないんだツマンネ、というのが本音でした。
同じように思った外野の人も多いはず。
しかしながら内輪にとっては地獄も地獄。
とにかくこの2つのどちらにするかの擦り付け合いでまともにスレが動かない。
KOTYはゲハ*6が来たからダメになった、という主張をする人はこの時期を見たのではないでしょうか。
実際にはゲハは四十八(2007)から存在しており衰退とは直接的には無関係。
ショパン(XB360)に関して論争になる程度には初期からいましたが黄金期がそこから始まりました。
つーか嘯いているやつら2018年に勢いを取り戻してるのを知らねぇだろ。
結局Newラブプラスはパッチが来るから(実際にはまだ来てないのに)編集合戦を経て選外に。
シェルノサージュは同年の候補4作品と比べてクソゲー力が弱いとのことで選外に。
客観性の欠片もない疑惑の判定で両者KOとなりました。
スレを読んでても選外になる流れの部分のスレは正直無理やり感は否めない。
シェルノをKOTYにしなかったからダメになった論者は多いですが、実際ラブプラスも大概謎。
しかしこれはファインプレー。
どれだけ言いつくろっても当時のスレはゲハの代理戦争状態。
反論には反論で返され決めきれない。
仮に片方だけを、あるいは両方をノミネート以上にしてしまうと
翌年から報復合戦になっていたのは間違いないかと。
また、KOTYは大作が無いからつまらない、と。
大作・ガッカリありで勝手にKOTYを名乗ったモノはある。
一ミリも関係ないのに勝手にKOTYを名乗っているという築地銀だこ現象。
そして、”自分の嫌いなゲームをKOTYにされなかったから恨んでる人”の集合体みたいなスレ。
見る価値も知る価値も一切ありません。
徹底的に内輪向けに振り切り呪詛を吐くだけのスレですから。
ただ、何でもありにすると洒落抜きのクソになるということだけは覚えておきましょう。
んで、ただこの”自分の嫌いなゲームをKOTYにされなかったから恨んでる人”がいる。
これもよく言われますが、普通に考えて
自分の好きなゲームをKOTYにされた方がより大きく恨まれるに決まってるでしょ。
多分ガチのマジでそのシリーズが好きな人にとっては
KOTYという話題で消化されること自体がムカつく、と思うんですよ。
今回説明のために未プレイでありながら
シェルノサージュ・Newラブプラスを申し訳なくも引き合いに出しました。
気分を害されたらすいません。
実際自分もKOTYを楽しんでいた側ですが、テイルズ信者でもありました。
なので2015年当時、TOZをKOTYにノミネートはもう仕方ない、とも思ってました。
でも
クソゲーだと言われる自覚はあるけどそれで消化されるのは違うでしょって。
「やってないけどアレクソゲーなんでしょw」って言われて一笑されて終わるのはキツイ。
結局ノミネートすらなく見送られたことは正直ホッとしました。
元2ちゃんねる管理人ひろゆき氏のように
訳知り顔で歯に衣着せずモノを言う行為は称賛と恨みを買います。
ただ彼らは猿に雑巾渡して自爆スイッチの掃除をさせてるようなもん。
選ばれなかった恨みよりも、選ばれた恨みのほうが重い───。
そこにいち早く気付いたからこその大作タイトルの意図的な外しだったのかもしれません。
まぁ単に系譜とクソを追いかけてたら中小タイトルばかりになった気もします。
ただ、ファンの少ないであろうタイトルばかりになったことで恨みが貯まらなかったのは事実。
偶然かもしれませんがスレを存続させるということに特化した戦略になった。
末期のスレの内輪揉めを知らないが内輪面したがる外野がたくさんいる、
という特殊な環境に助けられたということもあるだろうけれど
KOTYスレがうっかり自爆して
「ああ、やっぱりね。黙ってたけど俺アイツのこと嫌いだった」と言われることなく、
一応惜しまれながら終了出来た、ということは非常に良かったと思います。
クソみたいな生き様ではありながらも殆ど誰からも恨まれることなく死ねたこと。
2ちゃんねるにおける企画スレではかなりの長寿であること。
1999年から始まったベストエロゲー投票なんかはまだやってますが、
アニメ最萌トーナメント(2002-2014)や2ch全板トーナメント(2002-2008)等よりも長生き。
スレにとって間違いなく幸せな結末でありトゥルーエンドに至れたかと。
そしてそれは間違いなくスレ住人の努力の賜物かと。
ん?終了じゃなくて休止だって?
いや絶対復活できないっすよ(ヾノ・∀・`)ムリムリ。
□総評
非常に長い記事の読破お疲れ様でした。なんとここまでで1万文字を越えています。
ここ言わないと、ここにフォロー入れないと、と色々書いているとどこも切れなくなりました。
色々言いましたがもうちょっと長生きすると思っていました。
今回、2022年にいきなり沈没したのは事故だと思います。
AUTOMATONの記事でもクソゲー減と人口減は言われてましたが、
2020年あたりから選評に嚙みつく人間が増えており割とずっと空気悪いんですよね。
そんな空気の中、決定的なクソゲーが出ないことは勿論なんですが、
ふわっとしたルールで動いてたスレッドに賛否両論のルールを定めようとしたことが空気を致命的に悪くした。
勢いがある頃なら勢いで決まってそのまま動いていたんでしょうけど。
結局最後には
人は匿名掲示板であっても空気を読む。
という人間の習性によって悪化した空気を変えられることなく休止となりました。
誰でも本音を言える空間だと思っていたら意見を言うことすら封殺される。
下手をすれば今この時代はSNSやYoutubeの方が本音を言えるかもしれませんね。
んで、最後に。
冒頭に貼ったAUTOMATIONの記事の文末にて有識者が
「クソゲーも自ら手を取ってプレイしてほしい」と言っているが
賛成半分反対半分なんですよね。
だってクソゲーなんてやらなくてええやんけ。
私事ですが、ツーポイントホスピタルをブログ名から連想して買って面白すぎワロタ。
ゼルダの伝説ToKも面白すぎワロタ。
EAのキャンペーンでゼルダの発売日にジェダイサバイバーが抽選で当たって、
さらにその日にワイルドハーツのアプデも来た。
あれっウォーランダーもスト6も面白い!
そしてFF16が待ち構える。
世の中、面白いゲームだけでもやりきれない程数多いんですよ。
ゲームやってクリアして、ブログ書いてってだけでも凄い時間がかかるので
普通の人の人生にクソゲーを遊ぶ時間なんて無い。断言できます。
やりたい人、クソゲーにマジになれる人がやればいいんですよ。
しかし、自分はプレイしていないのだから未プレイをクソゲーだと断じるのは矛盾があります。
事実この記事でもとあるゲームをあたかもクソであるように取り上げてる。
これは自分のルールに抵触するのではないか・・・と。
なので、この購入画像を貼ってこの記事の〆としたい。
いつかはやります。いつかは。
ではまた。